Where to Place the Gap
余地は、市場に置くか、人に置くか
取りこぼしを可視化することは、それ自体が痛みを伴う。同じ数字でも、置き場所によって道具になるか、判定になるかが変わる。
余地のありかと規模を最初に告げることは、定義上「あなたが取れていない額を、外から来た人間が先に知っている」という状態をつくる。信用がまだない時点では、これは最も痛い形になる。
分かれ目は、余地の対象を市場に置くか、人に置くかだ。「この工程でこの投資が動いているので、ここに需要がある」は市場の話であり、聞いた側は確かめに行ける。「御社はここで年間これだけ取り逃している」は、同じ数字でも相手の話になり、反論の手段がない。
当てにいくと審判になり、一緒に測ると道具になる
規模については、ありかは自分で言い、規模は相手に出させる方が効く。相手の見立てと自分の見立てが近ければ、それだけで深さが伝わる。ずれていれば、そのずれ自体が最初の共同作業になる。
だから私たちは、取りこぼしを告発として出さない。訂正できる仮説として出す。現場が「それは違う」と言える形にしておくことが、可視化そのものより重要である。
反論できる数字は道具になり、反論できない数字は判定になる。
ここには、精度を上げるほど納得感が悪化しうるという反転がある。求めるべきは可視性ではなく、反論可能性である。
本ノートは、実際の製造業向け営業基盤の導入プロジェクトを題材にした議論をもとに構成しています。 顧客企業を特定しうる情報は含みません。
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01 ── 経営者の不安は、「見えていない取りこぼし」にある。